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もう一つのTJAR物語 円井氏によるTJARコース単独踏破


 所属チームのメンバーであり、実力者であるMH.TRCの円井さんがたった一人でTJARのコースを8日間で踏破した。円井さんはTJAR2018の選考会に合格したが、抽選で落選となったメンバーだ。本戦の時期と被らない様、3日遅れの14日にミラージュランドをスタートして大浜海岸を目指した。大会ではない、たった一人のTJAR。想像を絶する困難があったと思う。ご本人によるレポートが早々にまとめられたので、ご本人の許可を得て当ブログで公開したいと思う。
 文中でご本人は「感動はない」と言っているが、これは自分自身への言葉であって、決してTJARそのものに対しての感情ではないことを補足しておく。このコースに対しての想いは人それぞれであり、決して敬意を欠いた発言ではない事を理解していただきたい。私自身は敬意をもって(ご本人はどう思うかわからないが)円井さんの行動を称えたい。

 日々練成

 リンクを張ってもよいのだけど、負荷がかかるので内容をここにコピペする。

 以下円井さんのFacebookよりコピペ。


1人TJ(勝手にトランスジャパンアルプスレース)の報告(速報版)
公開

1.はじめに
今回、FB(Facebook)で山行経過を報告し(自身のガラケーの都合、FBでのみ、経過報告可能と判明した。TwitterはNGだったが、時間差で妻が代理で投稿してくれた)、応援コメントを多く頂き、それに応える形で、今回の取組みの経緯をここで簡単に紹介・報告したい。
2.TJARと私
学生時代より所属した多摩オリエンテーリングクラブに田中正人氏がおり、田中氏が参加した2004年頃よりTJARの存在を知る(私が管理する情報の共有化Webにも報告あり)。2008年大会では観戦目的で登山し、黒部五郎小舎あたりで宮下、飴本選手らに会えた。最近では妻がTJAR選手の連載を担当している(例:MtSN連載「TJAR2014 30人の勇者たち」)。いつかは出てみたいと思うも、子供が小さく、仕事も忙しく見送ってきたが、だいぶ子供が成長してきたので(2018年で小3)、(2016年頃に)2018年大会に挑戦することにした。
3.抽選外れと1人TJ
TJARに向けて準備を進めるも、30名限定大会で、抽選外れの可能性は分かっていたので、抽選で外れたら1人でやろうと決めていた。TJARの趣旨は、選手各自がレース主催者であり、30人がたまたま同じ日時にスタートする自己完結型のレースだから。大会が用意するサービスは市野瀬デポのみ。なので、1人TJは全く問題ない(今回、結果として、選考会は通過できたが、抽選で外れた)(本戦と同時期に行うと、運営や応援側に影響が出そうで、本戦選手とクロスしないよう考慮)。
4.1人TJの目的
1)コースの踏破(過程の経験)
2)TJAR創設者岩瀬幹生氏や田中正人氏への挑戦(敬意とトレース)(今回のタイムの目標は、2004年田中選手初挑戦時の6日間と2時間)
3)TJAR選手の多くが「感動した」等発言し、大会に魅了されているが、自分は感動するのか、魅力を感じるのか?
5.簡単に結果
2018年8月14日(火)午前0時 ミラージュランド(日本海)スタート
8月21日(火)午後19時07分 大浜海岸(太平洋)ゴール
タイム 7日間と19時間07分
1)コースについて。とにかくスケールが大きすぎた。試走は何回かしていたが、全部通すと全くスケール感が大きすぎ。一番の感想は「これを思いついて実行した岩瀬氏はクレージーだ!」(敬意をこめて)。
2)タイムについて。目標の「6日間と2時間」より1日半以上遅れた。その考察は後ほど。
3)ゴール後の感想。自分は感動しない(感情に乏しい)タイプで、予想通り、ゴールしても(現時点では)達成感、感動は少ない。スタート前から「地獄しか見えない」と発言しており、その予想通り9割はきつい、つらい時間だった(望月選手の言葉を借りるなら、きっとそれが自身を成長させてくれるはず)。
6.準備と調整
1)準備、トレーニング
問題なく進められた。仕事が比較的忙しくない(2018年)3月には自身最高の月間600km超を走り込んだ。アルプスの試走は、2016、2017年で、一通り終えた(未踏区間は、野呂川越~塩見岳くらい)。ただし、毎年4-7月は仕事が忙しく、選考会へ参加するのも相当な苦労で連日の睡眠不足がひどかった。7月は高地順応と登坂力強化で白山に通った。(8日間以内の)完走はできて当たり前、タイムは6日間を切れるかどうか。
2)直前の帯状疱疹
直前、7月末に帯状疱疹という病気になった。幸いなことに、素早く発見し、すぐ病院へ行き、投薬を開始した。8月1週目は、だるさ、眠さで仕事にも支障が出た。ランはおろか、自転車すら乗る気がしない体調。色々調べて、完治まで2-3週間という記述が多く。当初スタートは本戦スタート2日前の8月9日を予定していたが、帯状疱疹の様子により、本戦スタート2日後の8月14日発を第二候補に、さらに出走見合わせ、あるいは出走しても途中リタイアを視野に。(帯状疱疹の神経痛は8月12日くらいに収まった。)
3)直前まで仕事、睡眠不足
4-7月は毎年仕事が忙しい。8月に入っても想定以上に仕事量が多く、結局、仕事の都合もあり、スタートは8月14日を選択した。直前の12日まで仕事に追われた。抽選に当たっていたらまずかった。当初、スタート直前1週間は睡眠負債の返済のため、たくさん寝る予定だったが、それもできず。
7.山行(1人TJ)の評価
全体としては、ミスも少なく、ほぼ問題なかった (例えば試走や練習では、携帯電話を忘れて戻って数時間ロスしたり、地図を落としたりしたが、そういう致命的なミスは防げた) 。その中で思い付けるミスは以下の3つ。
1)直前の調整不足(帯状疱疹と寝不足)(たぶんこの影響で、前半3日間で想定「6日間と2時間」ペースより、約24時間の遅れ)。
2)それ(帯状疱疹と寝不足)に関わらず、当初の「6日間と2時間」計画を遂行しようとして、前半オーバーペース。結果として、特に太ももの筋肉が大きなダメージを受け、最後のロード85kmで失速(ここで想定(6日間と2時間)ペースより約12時間の遅れ)。
3)6日目の晩(百間洞)、プチプチベストを途中で紛失(落とした)ことに気付く。その夜は暖かく、また、それ以降は下界だったため、問題はなかったが、一歩間違えれば、睡眠環境を悪化させる大きなミスになりえた。
8.本戦との主な相違点
基本的には本戦と同じルールに従った。主な相違点は以下。
1)(選考会時、火器バーナーを使ってラーメン食べても、寒さで眠れなかったので)(2018年大会より新たに必須装備に加わった)火器バーナーの持参は見送った。
2)妻が運転する車にデポ用品を入れ、駒ヶ根か市野瀬で受け取る予定としたが、妻や子供の都合で会えない可能性があるので、デポがなくても完走できるよう、スタート時に地図は全て持ち、ヘッドライト用バッテリーも多めに携行した。
9.経過の詳細
池田さん、まとめ、ありがとうございます。お借りして、加筆。
■1日目 8/14(火) 晴れ 夕方より雨
0000 ミラージュランド(富山県魚津市)スタート 妻に加えて、何と同じチーム(MH.TRC)メイトの上田夫妻が駆けつけてくれた。感謝。直前に日本海に指タッチ。
0340 馬場島(ロード区間) 三ヶ所道迷い(間瀬ルートの草むら?、橋渡らずオーバーランで500m行き過ぎ、橋が通行止めでさらに戻る等) まあまあ暑く、汗かく
0630 早月小屋 「疲労と眠さでもうボロボロ」 この時点までで登山道にゴロ寝を数回。70歳?くらいの男性登山者の方が速いくらい、こちらのペースは遅い。 カップ麺の注文、食事、足裏ケアなどであっという間に25分くらい掛かってしまう。
0833 天下の劔岳
0955 剣山荘 カレーライスを食べたが少し残す(この頃から食欲不振) / カニのタテ・ヨコバイで渋滞 晴れて絶景 身体中がもう臭い
1213 大汝山(立山)
1300 一の越 / 立山人気 渋滞
この後、人のいない山 眠くて 顔ゆがめて 片目眠ったまま下る感じで危険
1516 五色ヶ原山荘 やや寒い カップ麺を食べるが、残した。この後小雨。「もう疲労困憊で予定通りの完走は厳しい」と妻にメール
1900 スゴ乗越 薬師岳方面が雷鳴。当初の計画ではこの日は黒部五郎小舎泊だが、全く無理な遅れ。雷雨の薬師に突っ込む気にならず、スゴで寝ることに。寒さで、2時間で起きてしまう。この2時間で、雨雲が消え、ツエルトの外は星空で晴れている。
<2時間睡眠>
2200 行動開始。薬師岳への登り、途中眠くて、2回ほどゴロ寝する。
■2日目 8/15(水) 快晴 午後より大雨
0105 薬師岳登頂
眠いので、何と薬師峠で、今夜2回目のツエルト泊。薄着で寝たので、また2時間で目が覚めて再行動。
<2時間睡眠>
睡眠不足が解消されず、「眠気」「食欲不振」「吐き気」などでペースが上がらない。食欲不振、さらに吐き気は自分にとって珍しい。アクエリアスをチビチビ飲みながら繋ぐ。
歩くスピードもCT(コースタイム)並みに遅くなり、これは完走は厳しいなと。リタイアを考え出す。
黒部五郎岳手前の中俣乗越あたりで、30分ほどゴロ寝。たぶんこれで復活し、ペースが戻る。睡眠大事。
<30分睡眠>
0920 黒部五郎小舎 ここで頼んだラーメンが超絶おいしい。食欲も戻った。
1155 双六小屋 午前中快晴だったのに、急にこの後大雨に
槍ヶ岳への登りは台風並みの暴風雨。まだ1日半しか経っていないが、気のせいか、手足が少しむくみ出したような?
1925 横尾 雨。眠くてここのキャンプ場で眠ることに。当初、毎日3時間睡眠の計画だったが、現在の睡眠不足の状態だとペースも上がらないし気持ち悪いので、記録を狙うより、毎日しっかり6時間ほど眠って完走を目指そうと思う。また多くの選手が参考にしている木村選手は毎日5時間睡眠だったと聞く。寝る前に食事をすると体が温まりそこで眠り、2時間ほどで、寒さで目が覚める。再度食事して再度2時間眠るのサイクル。
<6時間睡眠>
■3日目 8/16(木) 雨のち大雨
0450 上高地 雨  途中の車道で、何と再び上田夫妻の応援。ありがとうございます。沢渡まではほとんど下りなことに驚く(車の運転では気付かず)
0720 沢渡(以降、旧木曽駒スキー場までロード区間) 食堂が開いていて助かった。朝食定食が超絶うまい。
噂のトンネル区間。初めの頃は歩道があり余裕だったが、途中から歩道?の幅が30cmほどとなり、車道を走り、車が来たら、脇によけるを繰り返す。
0900 奈川渡ダム
1228 境峠 / 登りでは歩きながら眠ったり夢をみる
1355 スーパーまると手前約4kmの蕎麦屋で「天ぷらそば大盛り」を食べる(その後、まるとはスルー)。蕎麦屋の先の公衆トイレで妻と子供の応援受ける。
1527 藪原駅 / 大雨洪水警報 この日は2-3回、豪雨の時間帯あり。藪原駅の先で電光掲示板に「大雨警報」とあったり、放送で「洪水警報」と聞こえたり。
1715 セブンイレブンでパンと、今夜だけのために防寒用のTシャツ1枚を買う
1920 旧木曽駒スキー場 夕暮れ(マジックアワー)の木曽駒スキー場あたりの別荘地が、感じが良い。自然と人工の融合の美しさと、そこに感じられる幸せな家族の生活。
<5時間睡眠>
■4日目 8/17(金) 快晴
0508 木曽駒 登山口から山頂までCT約8時間、想定4時間45分のところを、何と3時間半というハイペースで登れる。しかしこのオーバーペースが後に響くことに。
0525 宝剣山荘 カップ麺食べる 妻から聞いていたが、パンが50円
宝剣山荘から空木岳の区間でペースダウン。登りが登れなくなる。高山病かもと思い、吐くことに重点を置いた呼吸法で淡々と登ったり試行錯誤。空木岳の登りはCT 90分を75分?と遅い。
1205 空木岳 
空木岳から菅の台への下りで、下りの筋肉が終わってしまう。この先が不安になる。また眠くて寝ながら下り。途中立ったまま眠っており、登山道に立つ市岡さんと会話するも、(それは夢で)目を覚ますと目の前には誰もおらず。
1545 菅の台 / 脚の筋肉がポンコツに。登り下り平地がペースダウン
菅の台駐車場で、妻の車よりデポを受け取る。主な行為は以下。
1)シューズの交換(同じ種類・サイズ)
2)靴下に穴があいたので交換(同じ種類・サイズ)
3)ふくらはぎが浮腫みだしたので、大きめのレッグカバーへ交換
4)不要となった地図、バッテリー類、ゴミ類(+昨日買ったTシャツ)を預ける
5)右アキレス腱が痛みだしたので、ニューハレテープを貼る
ここからのリスタートは、気持ち的に、ハセツネでゴール直後、体中ボロボロな状態でUTMFを出走する感じ。
家族へは「毎日いつも、やめたいと思っている」。子供に「完走目指して」と言われるも「完走は約束できない。行けるところまで行く」と答える。
1715 コンビニで明日の行動食(パン)購入
1740 すき家で「キムチ牛丼大盛り・豚汁たまごセット」を食べる。
市野瀬へ向かうも、脚は重く、登りは歩きで、途中の中沢峠が遠く、心が折れ、また峠から市野瀬も遠く、再び心が折れる(選考会時は近かったのに)。このコースを考えた岩瀬氏はクレージーだと思う。市野瀬手前で仮眠。起きると、顔もむくみ出したかも。
<5時間睡眠>
■5日目 8/18(土) 快晴
0427 市野瀬(ロード区間) 
ここから南アルプスへ。地蔵尾根の登りの最初で後ろからランナーが来て、聞くと、昨年ミラージュから駒ヶ根を3日間強でこなし、今回は駒ヶ根から大浜海岸まで行くという中島さん。樋山君と同じ職場。共通のラン仲間も多い。この後、熊の平、百間洞のテン場でゆっくりして、最後、大浜まで抜けると言う。30分ほど会話して、先に行ってもらう。
(昨日のように、前半飛ばして後半失速、さらに筋肉が終わることがないよう)序盤から「牛歩」作戦でゆっくり脚を温存しつつ登るよう心掛ける。
1050 仙丈小屋 次の山小屋・熊の平への到着が18時過ぎる可能性を考え、ここで大量の食糧調達を考える。無水カレー大盛りを食べ、さらに普通盛りの無水カレーを再注文。
1141 仙丈ヶ岳
この日は、睡眠も多く取れ、ペースもゆっくりながら、当初の計画タイム通りに進み、天候も良く、珍しく「楽しいかも」と思える(山行中の9割は「きつい、つらい」と思っている)
1720 熊の平小屋 18時に間に合った。カップ麺2つ食べながら、周りの宿泊客と話す。ここではなぜかTJARを知っている・応援している人が多い。もらった情報として、昨夜はかなり冷え込み、氷点下になったり、霜が降りたりした。今夜も寒い予報と聞く。このまま塩見岳を越えて三伏峠で深夜1時より野営する予定だったが、今ここで暖かいうちに眠るのと、より冷え込む時間帯の三伏で眠るのと、どちらが良いか選択に迫られる。自分は寒さに弱いので、ここで今から眠ることを決める。
しかし本日は13時間ほどしか行動していない、まだ夜が早い、疲れていないからか、目を閉じても眠れない。5時間眠りたかったが、3時間目を閉じただけで、21時半頃より再行動。
<3時間横になる 一睡もできず>
■6日目 8/19(日) 快晴
0122塩見岳 塩見岳を北から登るのは初で、明るいときに景色を見たかった
0422三伏峠 / 昨日は脚の筋肉を温存したのに 今日既にまずい
2年前、試走で、三伏峠から静岡駅まで32時間で走った。さらにこのとき紺野選手も私と同じペースで三伏から大浜を走り(信じられないスピード)、5日間と7時間でゴールしている。よってここからは、そのタイムが一つの指標となる。
0625 小河内岳避難小屋 大盛りカレー(半生の玉ねぎ入りの辛口)を食べる。洋楽が流れるオシャレな小屋。
1206荒川前岳 長い長い登り。1-2時間かかるこのような登り、選手達は何を考えているのか?(イヤホンで音楽でも聴きたい)
荒川小屋で荒川丼食べる
1535赤石岳 避難小屋でパン購入。ゴール時刻の計算をする。「大浜ゴールは順調に行けば火曜(21日)の午前7時から正午」と妻にメール。22日(水)朝9時から石川県で仕事がある。
太もものむくみが目立つ。昨日温存したが、再び下りの踏ん張りが厳しく。百間洞山の家まで大きく下る。中島さんに抜かれて良い頃だと思うが。
1740? 百間洞山の家 18時までに間に合ったのでカップ麺2つ注文。ここの山小屋の人は、TJARについて批判的な意見をお持ちだった。
この後、寝る準備中に、防寒用の(手作り)プチプチベスト(2着)がないことに気付く。ザックの外のゴム紐に取り付けていたので、何かの拍子に落ちたことが考えられる。自分は眠る際寒さに弱いのでピンチだが、幸いなのは、明日から下界だということ。山小屋のTシャツを3枚ほど購入することも考えたが、18時を過ぎていたので止める。今夜も5-6時間寝たかったが、2時間の仮眠で我慢しようと寝床に入る。このとき、2014年紺野さんが「ヘルメットは枕にもなった」と言っており、どういうことだろうと考える。ヘルメットをしたまま寝るということかと試してみる。すると、ヘルメットは地面からの断熱になり、頭の高さも心地良い。寝返りしても問題ない。食事→2時間睡眠→目覚め→食事→のサイクルを3回し、結局6時間の目覚ましに気付かず、7時間半ほど快眠できた。ただし起きると、顔のむくみ。日焼けか、唇も変(乾燥と痛み)。手の甲や指に傷が目立ち、テーピングで処理。徐々に痛々しく。これで職場に行けるかなと不安。2時に起床、2時半発。後で確認すると中島さんは、私のテントサイトの一つ上段で、18:30着、2:05発だったとのことで、ニアミス。
<7時間半睡眠>
■7日目 8/20(月) 山は曇り 下界は曇り後大雨
7時間半も快眠できたので、調子良く進める。牛歩作戦で脚を温存しつつ。
0631 聖岳
聖平小屋でカップ麺2つ食べる
1050 茶臼小屋 チャーハン大盛り(2食分)食べる (これ以降、行く先々で望月選手のポスターや特設コーナーが登場)
1230 横窪沢小屋 TJAR選手と応援者の書き込みボードがあり写真撮る。ご主人にお願いされTシャツにメッセージを残す。2年後に選手として出てねと言われるが、答えは濁す。
茶臼から畑薙の下り、下りの筋肉がかなり疲弊し、踏ん張りがきつく、危険な箇所も多かった。今回の挑戦、とにかく山で事故を起こすと、TJARの実行委員会や大会存続に影響を及ぼすので、是が非でも安全に下山することが第一。よって畑薙大吊橋へ無事下山できてホッとした。後は比較的安全なロードと安心する(そのロードの地獄性はまだ分からず)。
1533 畑薙第一ダム(以降、大浜海岸まで全てロード区間)
南アルプスでは山小屋休憩除くとCTの70%程度のスピードを出せたが、畑薙大吊橋から畑薙第一ダムまでのロードを頑張ってもCTの80%で、やばいかもと思い出す。
1555 白樺荘手前の水場で脚をアイシング。アイシングすれば回復して走れるかと期待するが、結果、変わらず。。
18時までなら食事ができると思っていた白樺荘の食堂は15時までで、カップ麺1つと、いくつか軽食を購入。次の食糧調達は静岡市街のコンビニまでできない可能性がある。
500mごとに距離表示看板があるので、500mごとにラップを取って暇つぶし。500mが6分だと上出来、8分に落ちることも。選手の皆さんは何を考え、何をしてここを進んでいるのか。
1950 井川オートキャンプ場 「走ってますが脚が動かなくてゴールは明日昼を目指します」
足先のむくみにより靴が狭くなり、それで足先がマメに。靴紐をゆるめる。これまでプロテクトJ1を5時間に一度塗り、足裏トラブルはほぼ無いが、この1-2日で少し増えた感じ。ただし、足先のマメの痛みは、3分歩けば消える。
小雨だったり大雨だったり止んだりで、ウェアを着たり脱いだりが面倒。
昨夜7時間半も快眠したので、今夜は徹夜で大浜を目指すつもりだったが、歩くこともつらくなり、仮眠したくなる。井川ビジターセンターのバス停で眠る。途中から土砂降りになるも、屋根の下で快眠し、このまま6-8時間眠りたかったが、何とか1時間半で起きて再行動。「ゴールは早くて昼、遅いと晩」と妻にメール。
<1.5時間睡眠>
■8日目 8/21(火) 未明は一時雨 朝から快晴(静岡市の最高気温は32℃)
0039 井川駅 「苦戦中 どこまでも厳しい」
富士見峠への長い登りで再び眠くなる。峠手前で再び1時間半の仮眠。
<1.5時間睡眠>
妻より、井川キャンプ場をほぼ同じ時刻に通過した石田選手や片野選手が、翌朝10時やお昼頃にゴールしたと聞く。自分は無理そうです。
0537 富士見峠 「いつゴールできるのか?」
意味は違うかもだがドラゴンボールの「精神と時の部屋」を思う。時速4kmで85km歩くと何時間掛かるのか? これはどんな拷問かと。(逆に2年前の新藤選手、江口選手はどれだけ速いスピードでここを進んでいたか)
6時過ぎ 静岡の奥島さん(妻が取材で知り合い)登場。応援がてら写真を撮ってくださると。ありがとうございます。急な下りは走る。ただ走っても500mで6-7分掛かるのは距離表示がおかしいのか?
Casso横沢は定休日だった。
9時過ぎ 妻と子供が横沢のトイレで応援してくれる。奥島さんより「このペースだとゴールは16時か17時」と言われる。
日焼けで痛んだ唇にプロテクトJ1を塗ると少しましになる。リップクリームがほしい。
これまで股間トラブルなく、股間にプロテクトJ1塗っていないが、この最終日、睾丸の皮が痛むようになる。
1225 玉機橋 FBの応援メッセージで、夕日ゴールを目指そうと思う。
1425 最初のコンビニ(ファミマ) / 補給と足のケア コンビニで一番欲しかったのはリップクリーム!
1536 千代田消防署 しずはた出張所 奥島さんの計らいで、仕事中の望月さん、谷さんが外に出てきてくれる。感謝。このコースを5日間で走る望月選手、リスペクト。
1648 アラジン 奥島さんの計らいで、店長ほか数名の方が外に出てきている。感謝。
静岡駅手前で、北野さんの友人(高校の同級生)の山崎さんが登場。厳密にはアウトだが、一緒に歩いて色々話をする。このときが一番ペースが速かったかも。
1745 静岡駅 あと5kmが長い。夕日も間に合いそうにない。遅くなってごめんなさい。
大浜海岸の直前、妻、子供×2、奥島さんに加えて、望月さんの奥さん(千登勢さん)と娘さん、簗場さん(アラジントレラン部、冒頭の写真は簗場さん撮影)、私を見て駆け付けた通りすがりの人(本田さん)がゴールで出迎えてくれる。なんと、ありがとうございます。遅くなって申し訳ありません。
1907 大浜海岸(静岡市)ゴール 手作りのゴールゲートまで。ありがとうございます。通りすがりの人(本田さん)によるシャンパンシャワーまで。ありがとうございます。太平洋の水に指先タッチ。本当に長かった。記念写真。そして解散。これまで応援してくださった方々、見守ってくださった方々、本当にありがとうございました。
その後、お風呂(歩くのが一苦労。立っているとぶっ倒れそう)、妻が運転してくれる車で眠り、朝6時に帰宅、髭をそり、足裏のマメを処理し、そのまま仕事へ。エクストリーム出社。
10.装備
ここでは割愛。
11.感想
大きく思ったことは以下の3点。
1)このコース(とにかくスケールでかすぎ)を思いついて実行した岩瀬氏はクレージー(敬意をこめて)。
2)このコースを5日間前後で走る望月、紺野選手らは凄すぎ。
3)このコースを8日間で完走した選手もみんな凄すぎ。
このレース(TJAR)について自分は、試走の段階から「眠さを我慢する登山大会」「苦しいだけ」「楽しくない」と思っており、自分には向いてないと思っている。今回挑戦して完走したのも、このコースの(8日間以内)完走という宿題か義務みたいなものを果たして、呪縛?から卒業したいという思いもあった(過去のTJAR完走選手と同じ目線を持ちたいという思いもあった)。次の2年間少なくない犠牲や調整を経て本戦に挑戦しても、また抽選外れとなる可能性もある。
自分の中では偉業とも何とも思っていない(偉大なのは先駆者である岩瀬氏。私はそれをトレースした数多くの1人に過ぎない)。レースプランが初日から破綻したので、後は完走に向けて、ミスが無いように淡々と進めていくことになった。結果的には、直前2週間の病気と仕事の波を何とか縫って完走を果たせた。そこは自分を褒めて良いかと思う。
12.謝辞
TJARを知って観て聴いて、刺激を受け、成長させてもらった。過去のTJAR選手、報告書、実行委員会、選考会、一緒に取り組んだ同志、先人たちの会話や行動から多くを学ばせてもらった。特に準備段階から同じチーム(MH.TRC)メイトの仙波憲人氏に多くの助言を頂いた。
その他、全員の名前を挙げることができないが、準備段階、練習、情報交換、山行中のSNSメッセージ、現地応援などで、チームメイト、全国や地元のトレラン仲間、オリエンテーリング仲間、TJAR関係の友人知人、さらに友人の友人、通りすがりの人まで、多くの方々にお世話になったり、応援をいただいた。本当にありがとうございました。
そして何より感謝したいのは妻である。スタート準備もバタバタで、車の送迎をしてもらわないと間に合わなかったかも知れない。ゴール後も夜通し運転してくれ、翌朝の仕事に行くことができた。準備段階からも良き理解者であった。子供を含めて家族の応援に感謝したい。



 
[ 2018/08/24 06:11 ] TJAR2018 | TB(0) | CM(0)

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